爛柯亭仙人の囲碁掌篇小説集(囲碁超短編賞悦集)

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愛すべき碁仲間たち

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21 E氏は子供と一緒に囲碁を覚えた。最初は子供より早く上達したが、すぐに追い抜かれた。遊びの碁でもライバルは必要だ。ならばそんな場を用意しようと、PTAの父兄と囲碁サークルを作った。E氏には初心者の子の踏み台になる覚悟がある。自分の上達速度は遅いと知っているからだ。
20 酒を片手に碁を打つのがP氏の無上の楽しみだった。彼の半生は酒と碁に尽きた。碁盤を前にピチャピチャ音を立てて呑み続け、酒も碁も飽きることがない。狸顔の好好爺だが、元は一流大卒の学者で、私大の学長まで務めた傑物だった。人は見かけによらないとは、彼のための言葉である。
19 G氏は温厚な人柄だった。だが、娘の碁だけは話が違った。大会で娘が悪手を打てば怒り、負けては怒りで、周囲を戸惑わせた。碁才のある娘をプロにと思っていたのだ。その夢が破れ、二人は久しぶりにふつうの父と娘に戻った。棋士になっていれば良かったのか、それは誰にも解らない。
18 D氏は高校の県代表という実績を引っさげて大学の囲碁部に入った。しかし囲碁部は運動部と同様、上下関係が厳しい。一年違えば先輩は神様だ。だからD氏は神様のように先輩N氏の顔を立てた。碁の実力はいい勝負だが、卒業後三十年以上たった今でも、二人の関係は少しも変わらない。
17 会社の中間管理職であるJ氏は多忙で疲れていた。五十歳を超えて月の半分以上が遠隔地での勤務となり、残りが都会暮らし。そのため年頃の娘が父親の出張は浮気のせいだと疑いだす始末。J氏には趣味の碁を打つ暇もなく、碁仲間と久しぶりに酒を飲めば、ほどなく酔い潰れるのだった。
16 S氏は温厚篤実な人柄ゆえか、所属の囲碁協会で重要なポストに就いていた。だが定年退職を機に要職を離れ、碁の会合や飲み会にほとんど顔を見せなくなった。現在はたまの旅行と野菜作りに精を出している。もっとS氏の顔を見、声を聞きたい。それが碁仲間たちの偽らざる本音だった。
15 R氏は子供をプロの碁打ちに育てあげた。碁才を見抜いた後、棋士への道筋と環境を用意したのだ。碁好きの男親にとって、我が子が棋士になるのは最高の誇りである。しかしいまR氏の視線は、一人の孫に向けられている。棋士になれるか否かは神のみぞ知る。その結論は数年以内に出る。
14 痩せの大食い。美人で細身のK女にぴったりの言葉だった。大学時代は囲碁部に在籍し、子供にはもちろん碁を教えた。さばさばした男のような性格。愛嬌があり、めっぽう酒好きの話好きで、碁仲間のおじさんたちに可愛がられている。不思議の国のマドンナ。皆は密かにそう呼んでいた。
13 U氏の本業は株の個人投資家だった。時間に融通がきくため、いつからか空き時間を児童への囲碁指導に使うようになった。市場の低迷で収入は減ったが、指導のためなら手弁当でどこにでも出向いた。もとは碁の師匠筋からの要請で始めたこととはいえ、誰にでも真似のできる話ではない。
12 C氏は囲碁師範の肩書をもつ立派な指導者である。大病を患って危うく三途の川を渡りかけたが、人生にも囲碁界にも復帰した。飄々とした性格で、多くの教え子や碁仲間たちから慕われている。あとは若い世代に任せたよ。そう言いながら、いまだに大会に参加しては優勝をさらっている。
11 I氏は碁好きの例に漏れず、まず自身が碁にはまり、我が子を囲碁教室に通わせた。その縁で地元の囲碁協会に所属し、まもなく重要な役員となり、挙げ句に碁会所の教室講師も引き受けた。碁はほんの道楽のはずが、今や人生の重要な一部。碁好きの生き方の、理想形の一つがここにある。
10 柔道で体を鍛えたM氏は、厳しさと優しさの両面をもって囲碁教室の子供と接している。毎年の夏合宿は楽しみにする子が多いが、昨年はM氏の入院で中止された。酒は控えめになり、飲み会への参加も減った。しかし普及への情熱に衰えはない。碁の効用を肌で感じ、理解しているからだ。
9 碁会所の運営は妻に任せ、本人は日曜の子供教室で指導し、平日は会社経営で忙しい。O氏は七十歳を超えてなお現役だった。典型的な碁好きの酒好きで、飲むと途端に棋力が落ちる。しかも最近は酒が滅法弱くなり、妻から夫の碁仲間に二次会禁止令が出ていた。知らぬは亭主のみである。
8 県代表経験者のH氏は、単なる碁好きを超えて研究マニアだった。碁罫紙を持ち歩き、つねに気になる局面や問題のことを考えていた。気の合う碁打ちを見つけると碁罫紙の図を見せ、相手の返答を待った。H氏から囲碁を取ったら、残りはマイナス。そんな冗談が本気に思えるほどだった。
7 筋悪で力碁だが、ツボに入れば強い。T氏に対する仲間内での評価である。戦いが滅法好きで、知らぬ間に切った張ったの殴りあいに巻き込まれる。見ているぶんには楽しいのだが、相手は
「こんな碁に負けるわけにはいかない」
と必死になる。そんなT氏はいま、7段を目指して勉強中だ。
6 Z氏は詰碁作りが得意だった。学生時代は囲碁部の補欠だったが、いまではアマ高段者に二、三子置かせる打ち手になっていた。囲碁の催事があると、出題用の詰碁はZ氏が作った。だが、ときに難しすぎて参加者と主催者を困惑させた。
「いや、これは簡単でしょう」
がZ氏の口癖だった。
5 Y氏は碁仲間から会長と呼ばれ、尊敬されていた。十代でプロ修行後、アマ碁界の強豪として鳴らした。地元で碁の会をいくつも立ち上げ、否応なしに会長に推された。
「囲碁は人生を豊かにする」
と、今は子供への普及と育成に情熱を注いでいる。それがY氏の囲碁に対する恩返しなのだ。
4 N氏は碁打ち仲間で一番の理論家だった。図を示すと、どの手がどう悪くどう打てばよかったか、皆が納得するように説明してくれた。だが、手が見えすぎるために実戦で粘りに欠け、すぐに投げてしまう欠点があった。団体戦では意外と頼りにならない男。人間とは不思議な生き物である。
3 K氏は五十歳で会社を辞め、残りの人生を囲碁普及に捧げることにした。妻に稼ぎがあるため生活はできる。本音はいい迷惑だろうが、夫の選択に理解を示した。できた女房である。K氏は毎日あちこちに出向いて指導に余念がない。碁の収入は僅かでも充実した毎日。そんな生き方もある。
2 F氏は優れた経営者である。駅前のビルに大きな碁会所を開き、客寄せの企画をいつも考えていた。実際、斜陽産業の碁会所を満席にする手腕は只者ではない。しかし、
「今は三、四十代の客がほぼゼロでね」
と嘆く。何か妙手はありませんか。碁界の未来を憂えるF氏の新しい口癖だった。
1 「ヘボだなあ」
街の碁会所十段を自認するY氏がボヤいた。私は自分のことを言われたのかとドキッとした。私の棋力は彼より五子は低い。そんな私の着手に対し、彼は自分のヘボさを嘆いたのだ。指導碁ならプロより二子は余計に置かせるY氏にして、この謙虚さ。見習わねばならない。


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